
平日の日中に外出して、ぶらぶらすることがある。
ぶらぶらしながら空を見て、雲を見たり花を見たりしているのだ。
この話だけなら、「FKもついに、いっちゃったんじゃないか」と噂される可能性があるが、このぶらぶらするというのは、それだけで心が安らぎ、「今日もまだまだ頑張ろう!」という切り替えになるので、ハッキリいってぼくにとっては最高な活動なのである。
そしてそんな中、最近自分の心境の変化に気がついたので、ここにご紹介する。
僕が仕事をやめてからぶらぶらし始めた頃は、何となく周りの目が気になる感覚というか、”普通に”職場に行って働いていないことへの違和感のようなものを感じていた。
おそらく自分の中で、平日の日中は働いているのが、当たり前だという感覚が身についていたからなのだろう。
ところがどういうわけか、そんな周りの目が最近は気にならなくなってきたのだ。
その理由は3つだ。
まず一つめは、もはや社会的地位などという概念が、どうでもよくなってきたこと。
二つめは、曜日の感覚が無くなってきたということ。
毎日土日なので、むしろぶらぶらして当然だろうという感じだ。
そして最後は、この状況に僕が”慣れ”たからだろう。
まあいくら自分の中で変化していたとしても、外見上はぶらぶらしている怪しいおじさんにしか見えないのだが。

人はどんなことにも慣れる?
一般的に、人間はどんなことにも慣れると言われている。
例えば、「住めば都」という言葉がある。
これは実感としてもそのとおりで、これまで転勤で過ごしてきた街は、どこも大切な思い出とともに、自分にとってかけがえのない街になっている。
この感覚は転勤族の方は、ある程度共感できるのではないだろうか。
では、仕事はどうだろうか。
始めはよくわからないと思っていた仕事も、1ヶ月から3ヶ月くらいで慣れてしまうのではないだろうか。
第二次世界大戦中に、強制収容所に送られるという過酷な体験をしたヴィクトール・E・フランクルですら、人間はなにごとにも慣れる、それもどこまでも慣れることができるということを言っていた。
多分あなたも含め、この先、どんなことがあっても結局は慣れるのだ。
これほど、勇気付けられる話はないだろう。

慣れないもの
言われてみれば確かに、ほとんどの困難は気がついたら慣れてしまっていて、過去には何事もなかったかのようにケロっとして生きてきたように思う。
前職で何ヶ月もの間、毎日夜の12時くらいまで残業していた時もあったが、気がつけばそんな環境にも慣れていたことを思い出す。
睡眠時間は8時間以上確保している今の僕からは想像つかないのだが、当時は5、6時間の睡眠にすら慣れてしまっていた。
今ではブラック過ぎて呆れるしかないが、当時は「これが公僕として当たり前の姿なのだ!」、「土日出勤上等!」と鼻息を荒くしていた頃を思い出す。
体も心も慣れるのだということがわかった。
ただし、慣れることができなかった事もある。
例えば、僕の場合は、退職を決めた最後の職場には慣れることができなかった。
たぶん、数ヶ月間働いていたら、慣れていたのだろうとは思うが、慣れること自体をやめた結果だ。
当たり前だが、慣れることを自ら放棄すれば、慣れることはない。
つまり、人間が何事にも慣れるという話は、慣れることを放棄しなかった場合に限るということになるだろう。
慣れたければ自分で選ぶ、慣れたくなければやめる。
これも、自分の選択次第ということだ。
慣れたくないもの
慣れというのは、困難なことへの慣れだけではない。
慣れたくないことにも、人間は慣れてしまう。
例えば、今の僕はまさに理想的な生活を送っているわけだ。
平日の昼間にぶらぶらできるなんて、これほどの理想郷はないだろう。
だが、この満たされた生活にも、いずれは慣れてしまうのだろうかと不安になる。
これについても、慣れることを放棄することはできるのだろうか。
慣れを放棄する方法
このことについては、僕は一つだけ方法があると思っている。
それは、日々の生活に感謝すること、だ。
究極的には、毎日を生きていること自体に感謝するくらいの姿勢が理想だろうが、まずはこの生活の一つ一つの出来事に感謝する事から始めてみようと思う。
正直、かつての僕のように、心の底から嫌な仕事をしながら、日々に感謝するというのは結構「ハードモード」だと思う。
仕事に行くと、様々なネガティヴな情報や出来事がシャワーのように降りかかってくる。
その状態で日々に感謝することは、かなり難しい。
インドあたりに行って修行してくれば、もしかしたらできるのかもしれないが、普通の人には難しいだろうと思う。
その点、今の僕は基本的に好きなことをして、前述のとおりぶらぶらした生活をしている。
外部からの刺激がほとんどないので、感謝に集中できるので、「イージー」なはずだ。

慣れはなんとなくの人生に繋がるのかもしれない
ちなみに、研究結果として多くの書籍で紹介されているのだが、感謝というものは身体や心に良いらしいので、僕のように慣れを防ぐという目的に拘らず、実施した方がいいと思う。
しかも感謝すること自体が習慣化しやすいという特徴がある。
感謝することで、脳からドーパミンが放出され、その状態を何度も再現したくなるとのことである。
喫煙などの悪い習慣ではなく、感謝という良い習慣を身につけることで、人生の満足度が上がるかもしれない。
試してみる価値はあるだろう。
慣れるということ
どんなに今が大変でも、人は必ず慣れることができる。
でも、大変な時や辛い時は、そんなふうには思えないこともわかる。
そんな時は、ヴィクトール・E・フランクルを思い出してみよう。
ただ注意したいのは、どんなことでも慣れてしまうのであれば、慣れた後は、日々をなんとなく過ごすことに繋がる可能性もあると思う。
だからこそ、日々の出来事に感謝することで、なんとなく日々を過ごすことを防止する方法の一つになると信じている。
そのためにまずは、インドに行ってみてもいいのかもしれない。
感謝するネタは、あらゆるところであるはずなので、あなたも探してみてはいかがだろうか。