出世など、どうでもよい

ここ1週間はほとんど何もせずに、ただ本を読んだりテレビを見たりしてダラダラと過ごしている。

このブログが久しぶりの活動だ。

「これが真の自由かぁ!」

ここ数日間に感じたことだ。

昨日は、ちょうど2020オリンピックの男子サッカー3位決定戦、日本対メキシコをやっていたのでダラダラしながら見ていた。

日本チームの決定力の無さに終始愕然とし、「オレなら決められるのにな」などと根拠のない自信を僕が高める一方で、試合の方は日本の敗北に終わった。

そのあと、映し出されたのは悔しさのあまり涙を流している日本代表選手の姿だった。

メダルを目標にしていたものの、その目標が叶わず悔しい思いをしているのだろうな、と思ってその光景を眺めていたが、その日はちょうど僕も応募していた作曲コンテストの結果が発表される日だったので、「自分も目標の入選が叶わず悔し涙を流すのだろうか」と暗い気分になりそうになっていた。

僕の場合は日本代表選手とは違い、誰も見ていないところで涙を流すのだろうが。

目標を達成できる人はほとんどいない

そこでふと思い浮かんだのは、これまで目標を達成することができたケースはどれくらいあっただろうか、ということだ。

多くの人が目標を達成することができず、悔しい思いをしているのが現実ではないだろうか。

全てを捧げ、激しい練習をしてきたオリンピック選手ですら、目標達成できる人はほんの一握りだ。

オリンピックでメダルを取る、作曲コンテストで入賞するなんてことはほとんどの人に関係はないだろうが、思うように出世できないとか、上司に評価されないとか、そういうことなら日常茶飯事に起こっていると言っていいのではないだろうか。

結果が出ないのは辛いもの

自分の望む結果を得られなかった場合、大抵の人は落ち込んでやる気をなくしたり、うまくいっている人を妬んだりする。

人間の反応としてそれは当たり前の反応だと思う。

少なくとも僕はそういうあたり前の反応をするタイプだった。

「あそこで選ばれていれば今頃は・・・」

「なんであいつが選ばれたんだろうか」

みたいな感じだ。

THE煩悩に支配される人生

という感じだった。

今思えば、そういう考えに陥っている期間は非生産的で、一言でいうと”無駄な時間”だったと思う。

ところがいつからか、望む結果が得られなくても落ち込んだり妬んだりする時間が減り、それを生産的な出来事に変えて、自分を成長させる機会にすることができるようになっていた。

思えば頭を丸刈りにし、見た目を僧侶に変えてからすべてが変わったのかもしれない。

というのはウソで、ある考えをするようになった後にすべてが変わった。

ミラクルな考え方だ。

この考えはラップ活動をする上で大いに役立った。

もちろん日常生活でも役に立っている。

目標が達成できなかった時の対処法

僕が目標に向かう時は、事前の心構えと事後の捉え方に気をつけるようにしている。

事前の心構え

まず、

成功や失敗は、人生の残りカスに過ぎない

という考え方を取り入れた。

これは渋沢栄一の本に書いていた考え方だが、目標を達成できなかった時に備える助けになっている。

そこから一歩進めて、何が人生において大切なのかを考えてみる。

僕が考えたのは、

人生ではプロセスを楽しむことが大切

だということだ。

結果はカスなのであまりこだわらずに、ただゲームを楽しむということにするのだ。

自分のコントロール内か外か

多くの人が立てる目標は、達成するための条件の中に自分のコントロール外のことが多く含まれている目標であることが多い。

まずはこのことを認識することが大切だと思う。

例えば、僕の場合は作曲コンテストに入選するという目標になるが、これは自分のコントロール外の要素が大きいタイプの目標だ。

コントロール内である作品の出来が結果を左右するのはもちろんだが、運と審査員の好みという自分のコントロール外の条件に左右されることがかなり大きい。

出世するという目標も同じだ。

やれることはもちろんある。

忖度したり、がむしゃらに働いたり、部下をこき使ったり(笑)。

コントロール内でできる限りのことをすることはできるだろう。

しかし、出世するかどうかというのは、配属ガチャで様々な面でうまくハマるかどうか、花形部署に配置されるかどうか、出身大学はどうか、同僚の組み合わせはどうか、上司の好みはどうか等、様々な状況が作用して決まる。

それらは全て自分のコントロール外のものだ。

出世が追い求めるだけ無駄だということがハッキリしてきて、ホントどうでもいい話だなと感じてきたが、話を続けよう。

こんな感じで、目標が達成できるかどうかというのが自分のコントロール外の要素が大きいとわかっていれば、必要以上に結果に期待することもないので、手を尽くした後に目標が達成できないとわかったとしても落ち込まなくて済む。

同時に目標達成している人が運がいいだけということがわかっているので妬む必要もない。

これは僕のような凡人が健全に生きるための考え方の一つだ。

うまくいかないのが当たり前だと知る

うまくいかない人が多数派であるという考え方も役に立つ。

例えば、100人でトップを目指す出世競争をしたとしてもトップになれるのは1人だけで、その他99人はトップになるという目標は達成できない。

オリンピックもそうだが、勝者は一握りでうまくいかないのが当たり前なのだ。

事後の捉え方〜それでも落ち込むことはある〜

それでもコンテストで落選したり、出世できなかったりすれば少しは落ち込むだろう。

でもそんな感情は一瞬で切り替えることができる。

落ち込むというのは苦痛を感じているということだ。

苦痛に対してどう対応するかで、その後の展開が変わる。

苦痛に対して自分はダメだと弱っていくのか、苦痛を成長に変えるのか。

どちらのスタンスを取るかは自分で選ぶことは可能だ。

僕の場合は、苦痛を感じた時は、

自分がコントロールできることの中で改善できることを探す

ようにしている。

そして改善を実行する。

これだけだ。

僕はコンテストで落選して一瞬苦痛を感じる。

すぐに自分にできることを考えて、作曲の練習が必要だという結論に行き着く。

作曲の練習をする。

成長する。

おちこんだりもしたけれど私はげんきです。という感じだ。

すべて考え方次第

決まってしまったこと、過ぎ去ってしまったことをいつまでも考えても仕方ない。

そもそも、起きた出来事というのはただの事実に過ぎない。

本来は、そこに良いも悪いもない。

出来事を良いか悪いか決めるのは、それぞれの人の頭の中での判断でしかないはずだ。

だから自分の考え方や捉え方一つで、同じ出来事が良いこと悪いことに変わりうるということだろう。

人生は考え方次第。

これほど自由なことはないと僕は思う。

PS:今読んでいる本

今回から記事を書いている時に読んでいて気に入った本を紹介することにしたので、興味があればぜひチェックしてみてほしい。

生きるのが楽になるかも。