目標を達成できる人の習慣を学び考えてみた

公務員退職後、初めての年末年始を迎えた。

毎年ワクワクしていた年末年始も、毎日が土日のような生活をしているせいか普段の1日と変わりはない。

それとも、個人事業主としてリラックスしていないからなのか。

そんな中でも、新しい年を迎えたという清々しさはあり、ようやく「この1年をどんな1年にしようか」と考え始めたところだ。

今の状況としては、何をするにも自由という最高に幸せでありながら、多少の不安も感じる状況だが、後ろは徐々に崩れてくる崖だ。

前に進むしかないわけだ。

だが前に進むとしても、まずはどこに進むのかを考える必要がある。

自分で目標を定めて、進んでいく必要があるということだ。

実は、年の初めに1年の目標を立てるということ自体は、これまでもやってきた。

ちなみに、ここ数年の目標はこんな感じだった。

「自分で稼ぐ力をつけるために勉強をする」

「公務員をやめて自分の人生を歩むために勉強する」

どれも漠然としていて、遠い未来のことを考えている、フワッとした目標だった。

心の奥底では、「どうせ退職なんて無理でしょ」くらいな感じで他人事のように考え、まったく重心が乗り切っていない感じだった。

だが、後ろまで崖が迫っている今、心境はガラリと変わっている。

夢だと思っていたことが現実に変わり始め、よりリアルに目標を思い描く必要に駆られている。

でも、いざリアルな目標を考えようとしても、これまで目標を真剣に考えてこなかったので、どうやるのが良いのか全くわからない。

そこで僕は『やり抜く人の9つの習慣』という本を参考にしてみることにした。

目標を達成できる人の習慣

この本によれば、目標を達成できる人というのは、共通する9 つの習慣があるという。

その習慣をまとめると、こんな感じだ。

  • 明確な目標を持っていること
  • 「これがあったらこれをやる」という計画をしていること
  • 現状を正確に把握して、目標に近づくために何をすべきかに焦点を当て、モチベーションを維持していること
  • 成功できることを信じていること
  • 最初から完璧を目指さず、失敗を恐れず、少しでも進歩することを考えていること
  • 努力でどんな能力でも身につけられるという考えを持っていること
  • 意志の力を鍛えることを知っていて、習慣的に鍛えていること
  • 誘惑は意志力を消耗させるので、誘惑と距離を取ることを心得ていること
  • 「やらないこと」ではなく「やること」に焦点を当てていること

全部できれば目標を達成できる可能性は高まるだろうが、この中で一番重要で難関なのは、「明確な目標を持つこと」だと思う。

目標を持つには、その後の障壁にもへこたれない熱いものである必要がある。

僕の場合、誰かが作ったレールの上を、何も考えずに歩いてきたせいか、自分の本当の望みすらよくわからず、小さな目標を持つことですら難しかった。

少しは熱い目標を立てたることに成功したとしても、自分事で差し迫った事情もない中では、少しでもうまくいかないことがあると、「そこまでやりたいことなのだろうか」との迷いが生じてくるものだ。

前述のとおり以前は、どこか他人事のような意識で目標を立てていたので、全く腰が入らず、ほとんど成長には繋がってこなかったように思える。

例えば、資格を取ろうと決めても、勉強が辛くなってくると「自分はそもそもこれがしたいのか?」という疑問が生まれ、そうこうしているうちに目標は消滅していく。

毎年「今年こそは」という意気込みで新年を迎えるが、公務員としての安定が前提にあるせいか、体重が乗り切らず、ほとんど変化を生み出すこともなく、1年、2年と時間は過ぎ、気がつけば歳をとっているただけだったという感じだ。

安定の代償は、成長できないことと変化できないことだということを、身にしみて理解した。

つまり、目標達成という変化を起こすには、リアルな自分事化と情熱が必要なのだと思う。

今年の目標

2022年、崖っぷちな状況と全てが自分事に変わったことにより、目標達成への意気込みは変わっている。

リアルな到達目標は走りながら考えるとして、今年の基本的な目標は、「興味の向くことで、新しいことを1つ始めること」。

興味の向くことというのは、少しでも熱い目標にするためだ。

そして、新しいことについては、同じことを繰り返しても何も得られないのをわかっているから、これを目標にした。

人生はやってみなければわからない。

安全運転で最後まで生きるのが良い人生なのか。

人によってはそれが正解だと言うかもしれないが、僕はそうではないと思っている。

例えば、どうしても行きたい場所を目指して自動車で走っているとして、法定速度ではたどり着かないのをわかっているのに、安全を重視して法定速度内で走ることを選ぶとする。

そして、予想どおり目的地にはたどり着かず、途中のパーキングエリアでガソリン切れになったとして、「安全な道を走ってきてよかった」と満足して終われるだろうか。

なんか違うなと思う。

僕なら、たどり着くかどうかわからなくても行きたい場所にたどり着くことを目指して、スピードを上げて最後まで走りきることを選ぶだろう。

また、絶対にたどり着くとわかっている状況、人生の見通しが立ち過ぎている状況は、ちょっとつまらないと思う。

結末のわかっている物語が、つまらないと感じるのと同じだ。

わからないからこそ、可能性を信じて一つの望みにかけてチャレンジすることができるだと思う。

年末年始がワクワクするのは、毎日が土日のような状態じゃないからだ。

いつもと違うことがあるから人はワクワクできるのだろう。

新しいこと、何をしようかな。