家事が前職よりも面白い件|人は思考が9割

たぶん多くの人にとって、家事は面倒くさいものである。

公務員時代の僕にとっても、家事をやるのがつまらないし面倒で仕方がなかった。

今年の6月に、公務員を卒業して主夫業を始めたのだが、これが案外面白いのである。

公務員時代は無能だった僕も、家事では有能であると自負している。

人は環境を変えれば、生まれ変わることができる。

家事の効能について

さて、先日、家事についての記事をNewspicksで読んだが、家事には次のようなビジネススキルを鍛える効果があるらしい。

ビジョニング

理想のイメージと現実を比較して、ギャップを埋めること。

例えば、キレイな理想の部屋を想像して、現実の散らかった部屋をキレイにしていくような感じだ。

ボトルネック分析

負担の度合いごとに仕事を割り出し、負担を軽くするにはどうすればいいのか見直しを行う。

例えば料理の場面で、食材をみじん切りにして、炒める工程があるとすれば、みじん切りが最も手間がかかる。

その場合は、ミキサーを導入するなどして負担を減らせば、効率的な業務が執行できる。

タスク分解

一つの業務をタスクごとに分解して、得意・不得意に応じて役割分担を決める。

僕は洗濯業務において、洗濯機のボタンを押す業務以外がどうも好きになれないのだが、妻にメインとして業務にあたってもらうようにしている。

段取り

準備とプランニングに総エネルギーの80パーセントを割く。

夕食を作る際は、詳細に行動プランを検討するようにしている。

何をどのように作るかを、頭の中でイメージして、レシピを準備してから取り掛かるようにしているのだ。

筋トレは、鍛えている筋肉を意識することで効果が上がるらしいが、それと同じで、「自分は、家事をやりながらビジネススキルを鍛えているのだ」と考えることで、スキル向上の効果が上がるのだろう。

「人は思考が9割」

僕の座右の銘である。

家事の凄まじいほどのやりがい

僕はもう一つ、家事には幸福度を高める要素があることに気がついてしまった。

それは、やりがいの存在である。

下手すると、公務員として働いていた時よりもやりがいを感じているような気がする

専業主夫(婦)と言えば、楽をしているように思われがちだが、誇りを持っていい職業であると確信したのである。

例えば、部屋の掃除である。

掃除をした時、当然、部屋がスッキリするわけだが、気持ちもスッキリする経験をしたことがある人はいると思う。

掃除には心をキレイにしたり、整えたりする効果があるということなのだ。

つまり、心が健康になるということである。

部屋を掃除すれば、自分の心だけでなく、家族の心まで健康にすることができる。

家族の心の健康に寄与する掃除業務に、やりがいを感じないわけがないのだ。

他にもある。

食事の準備も、やりがい度はSクラスである。

独身時代から20年以上、ほとんど料理をしてこなかった僕にとっては、なかなか難しい業務ではあるが、業務の重要性を考えると本気で向かわざるを得ない。

食事の準備とはつまり、家族の栄養補給・エネルギー補給業務ということになる。

人間、いや、全生物の活動において、食事は最重要案件であることは疑いがない。

幸福感にとっても食事は重要で、人が歳をとっても比較的最後まで楽しめるものは何か。

僕は食事だと思う。

美味しいものを食べるということは、幸せを感じるための重要な要素なのだ。

このように、食事の準備は、どれだけ良いエネルギーを補給できるか、どれだけ美味しい食事を提供できるかという、やりがい要素満載の真剣勝負なのである。

公務員時代に、深夜までみんなで机の周りをぐるぐる回って、会議書類をひたすら封筒に突っ込む業務や、不合理なものに従うだけの業務等とは、全くもって違う。

家事は、アウトプットがすぐに対象に影響を与え、結果も生み出す。

食事を作れば食べてくれるし、部屋も片付ければキレイになる。

公務員のような高度に組織化された環境での仕事は、自分のアウトプットの結果がら見えづらい。

そして何よりも、替えがいくらでもいる公務員と違って、家事は人としての存在も含め、代替性はない。

これだけ並べれば、僕が公務員よりも主夫の方が、やりがいがあると感じた理由がわかってもらえると思う。

どんなことにもやりがいを見出す方法

そんな家事も、ただの雑用だと思ってしまえば、やりがいなど感じられないだろうし、むしろ苦痛でしかないだろう。

日々の行動を、自分の心がどのように捉えているかが、現実の体験に影響するのだ。

そんな視点で考えると、公務員の仕事にもやりがいを感じたり、勤務時間を有意義なものにしたりすることはできるだろう。

公務員が天職だと思えれば、仕事に対する向き合い方も結果も変わるはずである。

僕の場合、やりがいを感じるところまではうまくいっていたのかもしれないが、生き方が好きになれず、天職とは思えなかった。

公務員として生きる姿が、自分のこうありたいという未来像、目標にはならなかったのだ。

公務員は自分の未来像を想像しやすい。

まさにレールに乗っている感じで、先に続くレールも見えてくる。

公務員は凡人の集まりだ。

もともと非凡な才能を持っていた人も、当たり障りのない環境に身を置き、無難な選択を繰り返すうちに、凡人になっていく。

往々にして凡人が権力を持つと、見ていられない姿になる場合が多い。

僕のような弱い人間は、このまま同じ環境にいれば自分がなりたくない姿になるかもしれないし、温室の中で過ごしているだけでは、真の意味で自分の足で立てる人間にはなれない。

そう思うと、進む道は一つしかなかった。

家事がもたらした教訓

視点を変えることが大切なのは、仕事だけの話ではない。

日常の何気ない時間も、捉え方や味わい方を変えるだけで、人生を激変させる力があるかもしれない。

そう考えると、自分の人生に無限の可能性を感じられはしないだろうか。

やりもせずに自分の可能性にフタをしている人は、本当に勿体無いと思う。

家事がもたらした教訓は、

今までの自分がつまらないと思っていたことも、環境・見方を変えれば感じ方は変わり、現実までもが変わる

ということだ。

自分では無理だと思っていることも、何歩か踏み出して違う環境に身を置けば、案外なんとかなるものだと思う。

自分の可能性を諦めない限り、という条件はつくが。