
先日、なぜかわからないが突然、ある映画が観たくなったので、ネットフリックスで観ることにした。
その映画とは『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)だ。
実はこの映画自体は初めてではなく、20年以上前に一度観たことがあったのだが、「最後のシーンは富良野だったっけ?」(本当は夕張)ぐらいな感じで、記憶が吹っ飛んでいた状態での再会だった。
それで、今回あらためて観てみたところ、いい意味で期待を裏切られる映画体験となり、しかも号泣しかけたので(昔から映画では泣けない体質なのである)、ここに記そうと思ったものである。

ざっくりあらすじ
この映画の主な登場人物は、島勇作(高倉健)、花田欽也(武田鉄矢)、小川朱美(桃井かおり)、島光枝(倍賞千恵子)の4人だ。
物語は花田欽也(以下「欽也」という。)が失恋しヤケになり、突然職場を退職し、退職金で新車を購入、そのままフェリーに乗って北海道へ行くところから始まる。
場面は変わり、網走刑務所から島勇作(以下「勇作」という。)が出所してくる。
欽也は釧路の港から網走にたどり着くのだが、その網走で同じく同僚に恋人を寝取られ傷心旅行に来ていた小川朱美(以下「朱美」という。)と出会いドライブを始める。
網走の帽子岩が見える海岸で、欽也、朱美と勇作が出会い、そこから3人の旅が始まり、赤の他人同士の旅であり、途中崩れそうになりながらも、助け合いながら、勇作が目指す夕張の地へ進んでいくロードムービーだ。

グッときたポイント
ノスタルジック
まず、ノスタルジックである。
映画を見ていて、古き良き昭和的な人の生きる姿が描かれており、「これが本当の人間のあるべき姿なのかもな」と思わされてしまう。
まるで2時間ぶっ通しで『新日本紀行』を見ているような気持ちになれるのだ。
食べ物が旨そう
序盤で勇作が網走駅前の定食屋さんでラーメンとカツ丼を注文して、ラーメンを食べるシーンがある。
それがなんとも旨そうに食べるのである。
それを見てすぐに僕もカツ丼とラーメンを食べにいったほどだ。
しかし残念ながら、僕が行った店はカツ丼とラーメンをセットで提供できる店ではなく、やむをえずカツ丼とそばを注文したものだったが。
ちなみにWikipediaによれば、このシーンを撮るために高倉健は2日間何も食べずに撮影に臨んだらしい。
(ラーメンについてはその後も、話題の中や滞在ホテルの中で登場するので、その度に食べたくなる)
黄色いものを写さないようにしたというこだわり
Wikipediaによれば、勇作が出所した網走から島光枝の待つ夕張までは絶対に黄色いものを撮らないことに決めたらしい。
その情報を見て「めっちゃすごいこだわりだなぁ!」と一人感動して、改めて黄色いものがないか注意して観たのだが、
いきなり「あ、見つけちゃったよ…」という感じで黄色いものを発見してしまったのである。
しかしその後、「ていうか、朱美のリボン黄色じゃないか」、「店のメニュー表黄色なんだけど」
「いやむしろ、勇作がおもいっきりタンポポを手に持ってなんか話してるし…」
「全体的に黄色めっちゃ主張してんじゃん!」
という感じで、その後黄色いものにしか注目できなくなったというか、黄色いものを見つける能力が飛躍的に向上したわけだが、人間の能力はヤバいと思う。
自己啓発本でよく出てくる話だが、夢とか目標がある人は、それをはっきり意識するだけで、アンテナの感度が飛躍的にアップするという話があるが、それは本当なのだと思う。
実際、凡人の僕においても、背景の看板や電柱にある小さな黄色ですら、きちんととキャッチできたくらいアンテナが強化されたのだから。
人生を再生する始まりの地 その名も網走
まず欽也が突然職場を退職するシーンを見たときに思ったのは、「これオレじゃね?」という親近感だった。
欽也に自分を重ねて物語に没頭していったわけだが、その直後に網走が登場した瞬間、僕はこう叫んでいた。
「網走だ!!!」と。
まさか、この映画で我が第二の故郷である網走が出てくるとは夢にも思っていなかったので、テンションMAX状態のまま、「ホテルしんばしだ!!」、「小清水原生花園!」「帽子岩だ!」などと、異常なテンションで鑑賞を進めていたわけだ。
だが、ここで一つのメッセージに気がついた。
網走が人生再生の始まりの地だということに。
よく考えると朱美も傷心で網走へ来ており、勇作は網走で刑期を終えて再出発というストーリーで、網走が起点となっているのだが、その後それぞれに人生を再生していく。
その再生の物語の出発地点が網走なのだ。
実は僕も2度目の網走転勤を契機に、人生を創り直した人間のひとりだ。
思い出すのは、網走で見た感動の自然の数々だ。
自然と向き合ううちに「自分もまだ何かやれるんじゃないか?」という思いを徐々に募らせていった。
今の僕の生き方においても、始まりの地が網走なのだ。
勇作はもともと九州出身で、人生をやり直すために思い切って北海道にやってきたというエピソードも出てくるが、北海道自体が再生の地なのかもしれない。
たびたび登場する北海道の雄大な自然は、3人の心を解放するような力も感じさせる。
広大な自然というのは、人に大きな力を与えるものなのかもしれない。
愛の物語
愛がこの映画のメインテーマだと思う。
見ず知らずの他人が協力して人を助ける。
人間の愛、つまり人間の善の部分を描いた映画なのだ。
人間にはどうしようもない悪い側面と、善の側面があると思うが、この映画ではその両方を描きながらも、助け合いながら最終的には皆が善の部分へ向かっていく。
ついつい僕なんかは、昔から悪いニュースをテレビで見続けたせいだと思うが、人間の本性はどちらかといえば悪なんではないかと思ってしまいがちだ。
でもこの映画を何度も見て、改めて人間の善を信じてみようと思わされた。
要するに、自分の世界を見る目を少し変えてみようと思ったのだ。
欽也と朱美はなんの利益にもならないにもかかわらず、心の底から勇作のことを思い、勇作の目的地を目指す。
最後に一緒に大喜びする姿や、連絡先の交換もせず別れているのが、見返りを求めない純粋な善意の現れなのだと感じる。
人間は本質的に善であると思わせてくれる。
そういえば『Humankind 希望の歴史』(ルトガー•ブレグマン)や『ブループリント「よい未来」を築くための進化論と人類史』(ニコラス・クリスタキス)では、そのことについて書いてあったな。
綺麗事かもしれないが、そうやって世界を見た方が、世の中をストレスなく幸福に生きていけそう。

おわりに
人生に行き詰まりを感じている人には、おすすめできる映画だろう。
それにしても高倉健はかっこいい。
それだけでも、この映画を見る価値はある。
僕の高倉健との出会いは、幼少期に高倉健のポスターを見て「お父さん」と指さしたところから始まっている(今考えると見間違えすぎにも程があるが…)。
雪が溶けたら網走に行こうと思う。夕張にも。
そして、そこでカツ丼とラーメンを食べよう。