
今年の冬は異常な大雪だった。
「除雪が筋トレになる」というポジティブシンキングをもってしても、正直かなりうんざりさせられたし、そのストレスのせいか、毎日、午前11時になるとロッテのチョコパイを食べなければ気持ちが落ち着かないという、禁断症状にも見舞われていた(いる)。
でも、近くのスーパーでチョコパイ9個入りが200円以内で購入できるので、とても助かっている。(なんの話だ?)
そのスーパーは僕にとっての救世主だ。
この大雪のせいだと思うが、今年はこれまで経験しなかった事態に連続で遭遇している。
僕は、ほとんど外に出ない(出たとしても短時間で済ませる生活をしている)引きこもり状態であるが、たまに外に出た時にかぎって、雪でハマり動けなくなっている自動車に遭遇するのだ。
1度目は、子供の送迎時に遭遇。
2度目は同じ日に、たまたま郵便局に用事があって外出したのだが、家から出て3分後に遭遇。
3度目は、家にいたのに、「ピンポーン」とインターホンが鳴り、そのまま救出に向かうという感じで遭遇。
そして、いずれも救出に成功したのだから我ながらアッパレである。
つまり、救出率100パーセントということだ。
もはやプロである。
ここに並んでいてもいいくらいだ。
(JAFの解団式)
https://nordot.app/874864140545900544?c=113147194022725109

人助けミッションの実態
だが、常に順調にミッションをこなしていたわけではなく、当然、困難に見舞われたことはある。
例えば、2度目の事例では、非常に頑丈なことで有名な某外車メーカーのRV車がハマっていたのだが、完全にタイヤが浮いており、それを見た瞬間「無理!手遅れだ…」と感じたため、思わず「JAFに入っていますか?」と聞いてしまったが、「時間がない!」と一蹴された。
他人に一蹴され、プロとしての自覚が目覚めたせいか、覚悟を決めて取り掛かった結果、徐々に集まってきた他の方々の協力もあり、なんとか救出することができた。
やはり、何をするにも気の持ち方が重要なのだ。
ちなみに、ハマっている方々は、当然皆さん急いでいる感じでして、絶望的な雰囲気でありながら僕に対しては「時間大丈夫ですか?」と気にかけてくれていた。
もちろん答えは「全然大丈夫です!」だったが。
相手からすれば絶望的な場面で、突如、ヒゲ面(マスクは作業中暑くなると外してさらけ出す)でスキンヘッドの中年、つまり”ヒゲスキンヘッド”が現れ、素手で救出に挑み、脱出に成功すれば本人以上に大喜びする姿に、”救世主”の3文字が思い浮かんだとしても不思議ではない。
光り輝いて、見えていたことだろう!
だがこちらからすると、普段はどちらかというと暇なので、「むしろ、役にたつ機会を提供してくれてありがとう」という感じなのである。

人助けは幸福への道
それにしても、人助けは本当に気持ちがいいものだ。
誰かの助けになるというのは幸せな気持ちにもつながるし、幸福になる道なのだと思う。
しかも、結構身近に人助けをする機会はあるのかもしれない。
でも、一昔前の僕なら、見て見ぬ振りをして素通りしていたかもしれないなと思った。
僕が外出する時は、通勤か家族のイベントか、いずれにしても時間があまりない状況が多かった。
ハマった車の救出には、数十分はかかる。
時間がないという状況なら、助けたいと思っても、なかなか助けられずにいたと思う。
実際に、朝の7時30分には家を出て、帰りは定時上がりでも18時30分に帰宅する生活では、自由な時間などほとんどないのだから。
例えるなら、両手が荷物でふさがっているような状態だ
両手がふさがっていると、人のことにかまっている余裕がなくなるのだ。
仕事をしていれば、間接的に誰かの役に立っているのであろうが、とにかく実感しにくいものである。
余裕なく両手がふさがっている状態だったので、人を助ける余裕はなく、実際にもほとんど人助けなどしてこなかった。
今は、時間に縛られることのない生活をしているので、自分の時間をどう使おうと基本は自由だ。
人助けをしてもいいし、作曲をしてもいい。
本を読んでもいいし、家事をしてもいい。
自分がやりたいと思ったことに時間を使える状態は、片手が空いている状態だ。
むしろ今は、両手が空いている状態かもしれない。
だから、車がハマっていたら迷わずに出動する。
しかも、JAFより早い!(JAFをディスってるわけではない)
次の奉仕は何しようか
少ない外出機会で3度も車を救出すると、スコップを持って散歩しようかなという気持ちになってくる。
だが、ヒゲスキンヘッドが鉄製のスコップを持って歩けるのは、どう考えても1時間が限界だろう。
確実に捕らえられる。
ということで、ようやく春の訪れを感じる時期になった。
自動車救出の技能を使うのは、また1年後であると思うと寂しくなる。
別の方法で奉仕することを考えてみよう。