
2000年代以前の懐かしいテレビCM(以下「なつかCM」という。)は、なぜこうも人を惹きつけるのだろうか。
現在、週5くらいの頻度で、なつかCMを見ている筆者であるが、おそらく日本一のなつかCM好きであると自負している。
いや、もしかしたら、世界一かもしれないと思う今日この頃である。
そんななつかCMを、何気なく眺めていると(全然作業に集中していない)、現在の価値観のレンズを通して見るとギョッとするシーンや、「時代は変わったなぁ」と思うようなシーンが目に止まることがある。
なつかCMを見て何かを感じてみよう
ここに僕のお気に入りのYoutubeを貼っておくので、これに沿って説明したい。
例えばこのCM(13分48秒を見ていただきたい。)。
松田聖子が扮する主婦が(外は青空、つまり日中であり、そんな時間から衣替えをしているところを見ると、主婦を表現しているのだとしていいだろう)、「家族の衣替えするのが私の生きがいなんです」と述べる。
夫が働きに出て女性は専業主婦という、当時の家庭の当たり前の形を描き出したCMと見ることができる。
確かに、1992年の時点では男性雇用者と無業の妻からなる世帯は当たり前と言える状況だった。
その数は、約900万世帯、割合的にも1992年時点では50パーセントほどだったようだ。
しかし、2019年では約582万世帯、割合的にも30パーセント程度にまで落ち込んでいるとのことで、当時は当たり前だった専業主婦という形も、今では当たり前とはいえない状況なのだ。
価値観は変わっていくという、わかりやすい例だろう。
次は、個人的に二度見するほど、ギョッとしたCMについてである。
(7分4秒を見ていただきたい。)
札幌にある定山渓ビューホテルのなつかCMなのだが、プールで子ども(男女)がすっぽんぽんで背中を流しあったり、滑り台を滑ったりしているのである!(それも幼児ではなく、小学生中学年以上とみられる子ども達だ。)
今なら、抵抗感があって誰も入りたがらないだろうなと思う。
続いて8分4秒では、若き日の江口洋介が登場してきており、缶コーヒーの紹介をしているが、「若っ!!!」「髪の毛長っ!」という感じである。
そして、鏡の中の自分を見ていただきたい。
諸行無常だと、改めて感じさせてくれるではないか。
さらに、11分49秒では、登別伊達時代村が開村した時のCMが待っている。
門から出てくる将軍みたいな人たちが、最前列の3人とも恰幅が良すぎて絵的に笑いがこみ上げるなど、ツッコミどころが多すぎる。
そのCMの最後はこう締めくくる。
タレントオーディオン開催中!
と。
当時はオーディションのことを「オーディオン」と言っていたのかぁと、学びがどんどん深まる。
他にも、スーパーファミコンのソフトが8,800円で売られており、ゲームソフトにしては高額だなあと感じたり(今は4,000円から6,000円くらいだろうか)、今はなきレジャー施設のオープン時のCMが出てきたり、とにかく時代の変遷を感じることができる。
まるで、なつかCMはタイムマシン(Time Machine)のようなのである。
価値観は変わる、知らぬ間に
時間が経てば、価値観も含め全てのことは変わるのだ。
年代によってCMの作りも全然違っている。
一言で言うと進化しまくっている。
人間心理の理解、技術の発展および価値観の変化等が、組み合わさったこで進化してきたのだろう。
例えば、1980年代は、商品や施設のプロモーションビデオのようだ。
売り込み感がハッキリしており、わかりやすい。
(80年代のCM貼る)
70年代のCMを見ると、さらにわかりやすいかもしれない。
静止画で構成されているものに関しては、チラシを見せられているような感じだ。
一方、最近のCMは一瞬「ドラマか?」と思うような凝った作りだったり、一見して何のCMかわからないようなものだったり、商品を手に入れたらこんな生活が手に入る、というような消費者の未来を見せてくれるものだったり、自分が売り込みされているのかどうかがハッキリしないものが多い。
わかりづらくなった分、消費者は油断すると知らぬ間に商品等に引き寄せられ、知らぬ間に欲するようになるということだろう。
簡単に言うと、売り手側は、なつかCMの頃に比べ、売り込みが巧妙で上手くなっているのだ。
消費者も賢くなっているのだろうが、変化のスピードで考えれば、売り手側は狙って意識して向上している分だけ、変化のスピードは早いと考える方が妥当だ。
厄介なのは、早いといっても目に見えるような変化ではなく、なつかCMを見るなどして、振り返って見ない限り、気がつけないような小さな変化の連続であるということだ。
知らぬ間に操り人形になっている、ということになりかねない。
自分が能動的に変化するべし
ところで、こういったゆっくりした変化は商売だけの話ではなく、社会全般の変化の動きに共通しているように思える。
周りは少しずつ変化しているので、よほど注意していないと変化に気がつかず、置いてけぼりになってしまう。
置いてけぼりになるだけならいいが、変化に自覚がない場合、考えることまで流され、考え方が画一化していく。
これは、個人がかなり気をつけなければいけないことなのではないかと思う。
最終的には、自分を失っていくからだ。
それを防止するためには、個人が能動的に変化し対応していくしかない。
幸い、CMの変化と同じように、社会の変化というのは非常にゆっくりなものだ。
当然、個人が変化できるスピードの方が早い。
基本的に社会の変化というのは、個人の変化が積み重なって、その結果として社会が変化していく。
順番はそうなっているはずだ。
だから、個人一人ひとりがこうありたいという方向を定め、社会の変化に先んじて変化を試みれば、望むような社会ができるのだと思うのだ。
これが、なつかCMを見ていて僕が教えられたことだ。
実際、皆も同じだと思うが、僕も価値観の変化を経験してきた。
もともとは公僕として人生を捧げるつもりで生きていたが、今はずいぶん変わったと思う。
個人の自由や幸福を高めるような方向へ変わってきた。
もちろん意図的に自分が変化しようと決めたからだ。
これが吉と出るか凶と出るかは、これからの自分次第だろう。
今の状況は、それなりに満足しているので「まあいいや」という感じだ。
とはいえ、こうやって幸福を求めて肩の力を抜きながら自由に生きていくというのも、新たな時代の価値観なのかもしれないなと、今思った。