何者でもないことの気軽さ|呪いの話~Rethink Japan【山口周×波頭亮】『幸福をRethinkせよ。』を見て

社会人になってしばらく、公務員という肩書き、〇〇課の係長であるという肩書き等、色々な肩書きが僕という人間そのものだったところから、昨年、全ての肩書きが消え去った。

今は、何者でもない人間として生きている。

そしてこの肩書きゼロの状態というのは、全然寂しいものではなく、開放感や自由の感覚が格段に広がっている。

その感覚は、サラリーマンが金曜日の夕方に味わう開放感を持続的にしたようなイメージだ。

あるがままでいられることの心地よさは、ほとんどの人にとって素晴らしいものだと思う。

これが、後述する「呪い」が解かれている状態なのだろう。

最近そんな僕がハマっているのは、Newspicksの番組Rethink Japanの【山口周×波頭亮】『幸福をRethinkせよ。』だ。

https://newspicks.com/movie-series/45?movieId=1766

この番組のテーマは、幸福になるにはどうすればいいかというもので、番組では最終的に「わがままという美徳の回復」(わがままというのは、自分の心が嬉しいと思うことを追求していくという意味)が必要だという話で、わがままであることは幸福の根源であるという話で終わる。

また、番組の中の重要な論点として「自己決定権の極大化」が幸福感に影響するという話が出てくるが、その中で触れられるのが、多くの人がかかっている「呪い」についての話だ。

自己決定権の極大化というのは、自分の人生における選択権を広く持つことであり、それが幸福感に影響する。

だがそれを狭めているのが「呪い」の存在だ。

呪いにかかっていた頃

呪いというのは、相手の自由を縛る言葉のことを指している。

例えば、

「東大に出たのだから一流企業に勤めなさい」

「安定した企業に勤めたり、公務員になるのが勝ち組だ」

とか、そういう決めつけのことを言っている。

他にも「大きな強い組織への所属」、「肩書き」または「資格」等も呪いに含まれるという。

肩書きの消失を実際に経験している身としては、この話が真実を語っているものであることがわかる。

昔の僕も公務員になる時は、安定しているところに就職し、安定した人生を送るのが正解であるという思い込みに捉われていた。

これも呪いだったのだろう。

公務員になってからも、なんかつまらないなと思いながらも、不安定な企業に勤めるよりは良いことなのだと考えていたから、当然転職することなんて考えられなかった。

さらに住む場所も自分で決められないし、単身赴任等一緒に住む人も自分で決められないという不自由を感じながらも、呪いが解けることはなかった。

場所も人も他人に決められるということは、結局、人生を他人に決めてもらっていることと同じだ。

また、日々の生活においては、SNSの使用を制限するようなことを職場研修でやるような所だったので、波風立てたくない人は目立つような行動はできないようになる。

それを繰り返すうちに、様々な場面での振る舞いも公務員としてのあるべき姿に固定化されていく。

これを疑問にすら思わないのは、呪いにかかっているからだ。

僕の呪いが解けたのは、様々な本を読み始めた頃だったと思う。

呪いが解けてから自分の所属する組織(権力者)の振る舞いを見てみると、その振る舞い自体の無意味さや理不尽さがくっきりと見え始める。

その中でも、役所の権威主義的な性格が自分の肌に合わないなと思い始め、呪いの解除が加速していった。

公務員になって最初の頃は、権威側にいることによる安心感が心地よかったが、それ自体が呪いにかかっていたことの証左だったのだろう。

呪いから解放される方法

番組内では、呪いを解くための方法として、呪いから解除された人の話をたくさん聞くということが紹介されているが、僕としてはたくさんの本を読むだけでも、ある程度呪いは解除されるのではないかと思う。

さらに肩書きなどの呪いから解除される状態、つまり何者でもない状態になるには、一度全て捨て去るしかないのだと思う。

だが、一度その状態を経験すれば、呪いとは何かが本当に理解できるし、格段に視野が広がる。

そして何よりも、何者でもないという自由が、幸福感を感じることができる状態なのだと思うのだ。