自分の人生を生きる方法

僕は昔から映画が好きだ。

映画自体は楽しくて満足するのだが、見終わるといつも感じる違和感があった。

最近、自分の生活が変化したこともあってか、その違和感の正体がわかってきた。

その違和感は、映画の主人公と自分との圧倒的な違いから生じていた。

それは、唯一無二の人生を歩んでいる映画の主人公と、誰かと同じような人生を生きている自分との違いから生じた違和感だ。

この違和感の正体がわからずに生きてきたが、最近ようやく見えてきたことがあるので、ここに紹介しよう。

映画の主人公は自分の人生を生きている

映画の主人公は自分の人生を生きている、つまり、オリジナリティに溢れている(ように見える)。

映画なので、オリジナリティがあって当然なのだが、自分の人生と比較せずにはいられなくなる。

たとえ平凡な生活をしている主人公でも、徐々にありきたりな人生のルートから外れ、オリジナルな自分だけの人生を手に入れる。

映画を見終わった後に残るのは、清々しさと虚しさだ。

少しでも自分の人生にオリジナリティを見つけようと改めて確認することもあるが、結局オリジナリティのかけらもない現実に打ちひしがれるのがいつものパターンだ。

あなたも、映画の主人公と自分の人生を比べてみてほしい。

ギャップがあまりにも激しすぎることに、打ちひしがれるはずだ。

多くの人はこう言うかもしれない。

「人生ってそんなものじゃない?」

僕のオリジナルな人生

ちなみに、僕のこれまでの歩みにオリジナリティはない。

地元の小学校、中学校と進み、学力に合わせて高校に入学・卒業し、学力に合わせて大学へ入った。

そして安定を求め、学力に合わせて就職した。

どの時点でも提示された選択肢を、学力というまさにオリジナリティのかけらもない基準に合わせて選んできただけだ。

自分の望みと向き合うことなく人生を進めてきたような感じだ。

オリジナリティを感じられないのも無理はないと思う。

それに抗うように、一時期は仕事で出世することを期待したこともあったが、余計歯車に組み込まれオリジナリティを失うだけだし、そもそも出世にオリジナリティがあるわけではないことに気づいた後はそれもやめた。

もちろん(?)、ミクロな視点で生活を見てもオリジナリティはゼロだ。

朝起きて1時間ほど準備して出勤する。

午前中4時間ほど働いて、昼食を食べる。

午後からまた4時間ほど働いて、家に帰る。

夕食を食べて風呂に入れば、夜9時だ。

就寝してまた朝が来る。

これを週5回繰り返す。

とても平和で素晴らしい生活なのだが、何かが足りない。

そして、どこに自分だけの人生があるのだろうか、という感じは拭えない。

好きな仕事、もしくは自分じゃないとできないというようなやりがいに満ち溢れた仕事をしているならよいかもしれないが、誰にでもできる仕事でオリジナリティを感じるのは難しい。

もしも一日の大半を過ごす仕事がそういう状態なら、自分の人生を生きている感覚は得られないのも無理はないのではないか。

みんなオリジナルな人生を歩んでいる

厳密に言えば、どの人もオリジナルな人生を歩んでいることは間違いない。

でもそう感じることができないのは、僕のようにエスカレーターに乗るように人生を歩んできたからではないだろうか。

アフターファイブや余生に好きなことをやれれば、それで足りるという人もいるかもしれないし、それはそれでいいと思う。

でも、僕はそれでは足りないと思っている。

例えば、アフターファイブを使って、年間で何時間自分のために時間を使えるか考えてみよう。

一日で1時間、オリジナルな人生を過ごしているのだとすれば、1年で365時間、たった15日間だ。

40年間やったとしても600日間。

2年分にも満たない。

2年っていうのは、公務員の異動サイクルよりも短い。

やっと仕事や職場に慣れたという期間だろうか。

こんな短い時間しか、自分の人生を生きられないなんて、と思ったのは僕だけだろうか。

しかも、誰も自分が何歳まで生きられるかわからないというルールが支配する世界で、自分のオリジナルな時間をどう確保するかについて考えるとなれば、なおさら慎重に考えざるを得ない問題だ。

しかも厄介なことに、自分の好きなことというのは手間暇かけて育てなければ、知らないうちに枯れてしまうということだ。

好きなことが枯れてしまうということは、自分が望んでいる人生がどんなものなのかすら忘れてしまうということにつながる。

自分の人生を生きる方法

おそらく僕と同じように感じている人は、意外と多くいるのではないかと思っている。

本当の意味で自分の人生を生きていないのではないかと。

今、僕は自分の人生を生きるためにはどうすればいいのか、一つの解決法を発見した。

自分の人生を生きるには、

やりたいことをやると決めて、自分で変化を起こすことだ。

能動的に自分で変化を起こすと、見える景色がガラリと変わる。

受動的に変化に対応しているだけとは違い、人生の手綱を握った感覚が生まれる。

これまで一度も人生の手綱を握った経験がなかったから、こう感じているだけかもしれないが、その効果は絶大である。

僕と同じように違和感を感じていて、自分の人生を生きたいという人であれば、行動して変化を起こすことで同じような感覚を得られると思う。

やりたいことをやると決め、自ら変化を起こすこと。

やることはとてもシンプルだが、それ以降の人生に及ぼす影響はとてつもなく大きい。

僕が今後、別の生活を始めたとしても、一度人生の手綱を握った感覚は忘れるものではないので、あらゆる出来事に対する捉え方は変わっているだろう。

変化を恐れないことが大切

そういえば、最近見た映画で『LIFE!』という映画がある。

主人公は、アメリカのグラフ誌「LIFE」の写真管理部で働く普通のサラリーマンだ。

だが、あることをきっかけとして変化を自ら起こし新たな経験をし、唯一無二の人生を手に入れていく。

この”変化”が重要なポイントなのだと思う。

映画には必ずポイントとなる変化が存在している。

その変化も含めた経験全体から、オリジナルな人生をつかんでいるのが、映画の主人公たちなのだ。

変化を嫌って、一方ではオリジナルな自分の人生を求めるというのは無理な話だ。

唯一無二の人生を手に入れるには変化が必要なのだろう。

僕は今、飽きをきっかけとして変化を経験し、唯一無二の人生を手に入れようとしている最中だ。

やりたいことというのは、結果はどうあれそのプロセス自体が楽しいものだ。

自分の人生を生きるという目的を除いて考えても、やりたいことをやることに価値はあると思う。