いろんな限界を感じた時の対処法

今年の雪は、多すぎる、気がする。

雪かきをするたびに、「体力の限界だ…もはや南国に住むしかないのではないか。」と考えてしまうのは僕だけだろうか。

ニュースにも取り上げられており、「もういいかげんにしてほしい」とため息を漏らしている人もいたようだが、まさにそのとおりだ。

しかもツライのは、最近の雪は水分を多く含んでおり、尋常じゃないくらい重たいのだ。

朝散歩を習慣にしていたが、寒くなってからパーフェクトにサボっている僕にとっては、かなり良い運動にはなっているので、良しとしようかとも思うが、なかなかきつい。

ところで、雪はねをするには、体力だけではなく、時間も取られる。

30cmくらい積もっていれば1時間くらいだろうか。

終わる頃には汗だくになっており、エネルギー消費の激しさが自分でもハッキリとわかる。

トレーニングだと思えば無駄というわけではないが、他に生産的なことができる時間が奪われていることは間違いない。

もしも南国に住んでいれば、このような時間と体力の損失は避けられるはずだ。

時間管理の鬼で、全てに効率化を求めるかつての僕であれば、何度も大雪を降らせる空に対して、激しく憤っていたところである。

でも、こんな駄文を垂れ流すほどに心の余裕が生まれた今であれば、少し違う見方をすることができる。

限界を感じた時に、どう対応するのか。

今日はそのことについて、考えてみよう。

二つの選択肢

避けられない自然の営みに対して、体力の限界を感じている僕には二つの選択肢がある。

一つは受け取り方を変えるということ。

もう一つは、逃避するということだ。

まずは受け取り方を変えることについて考えてみよう。

世界観を壮大に変える

人間が生きることにおいては、効率化を求めることが全てではない。当たり前だが。

大雪との闘いは、北海道に住む人間にとって避けては通れないものだ。

おそらく人と雪とは、長い闘いの歴史がある。

しかも、大昔であれば、今のようなスコップもないのだから、その闘いは命がけのものだったに違いない。

だが、それも含めて”生きること”だったわけだ。

大雪との闘いも、人生そのもの。

この壮大な歴史を含んだ世界観を自分に当てはめてみると、朝起きてめちゃくちゃ雪が積もっている景色を見た瞬間の印象が変わる。

まずは、この大雪は人生の一部だと受け入れるようになる。

そして、生きるために雪はねと向き合う。

さらに、汗水垂らして、その疲労感を腕や腰に感じ、生の充実感を味わう。

こうして、雪はねをただの厄介者として捉えるのではなく、人生の一部として受け入れてみると、「いいかげんにしてくれ」というネガティブな感じではなく、「自分は自分で選んでこの土地にいる。それが俺の人生だ。だから、雪はねも人生だ。」という前向きな気持ちになれるというわけだ。

さすがに、一日いっぱい雪はねをしなければならないような状況であったり、高齢になり体力が落ちたりしている状況であれば、こんな能天気なことも言っていられないかもしれないが、このように世界観を壮大に転換することで、マイナスな事象がそうでなくなることがあると思うのだ。

では次。

逃避する

人間は、無理をしすぎると体を壊す生き物だ。

受け取り方を変えても、やっぱり無理なことは無理だ。

腰が壊れそうな時に「自然との闘いだ」などと言って雪はねを始めたら、たぶん再起不能になる。

だから限界を感じる時には、逃げてしまうのもありだ。

逃げるのはダメだという世の風潮もあるが、逃げたいと感じるのは人間の生存本能からであり、別に悪いことではない。

自然界を見てみても、戦うだけが正解でないことはすぐにわかる。

いやむしろ、ほとんど逃げて生き延びている生物の方が多いかもしれない。

でも僕らは、どこかで逃げることは悪だと刷り込まれて育ってきた。

おそらく、歯車である僕たちに逃げられてたら都合が悪い人たちが作りだした幻想なのだろう。

風潮というのは、過去の誰かにとって都合がいい等の理由で生み出されたものを、自分の頭で考えない人々の間で広まった幻想に過ぎないと、僕は思う。

それなら、そんな根拠不明な風潮よりも自然の法則の方を信じたいと思うのだ。

逃げたいときは逃げよう。

そう自分に言い聞かせている。

というわけで僕が逃げるとすれば、北海道から沖縄に移住するという感じだろうか。

憲法にも居住、移転の自由があると書いてあるので、それを行使するだけである。

以前の職場では、居住地を他人に決定させられるため、「居住、移転の自由などないのだ。」と居住地を選べないこと自体を当然だと思ってきたが、いざ居住地を選べる自由を得てみると、この居住、移転の自由は人間が生まれながらに持つとされている様々な自由の中でも、ものすごく大きなインパクトを持つものだと感じる。

一言で言うと、めちゃくちゃ最高級の自由だということだ。

さすがは憲法に定められるほどの権利だな、という感じである。

最近は居住地を選べる企業も増えてきているというので、実質的に居住、移転の自由を享受する人が増えれば、幸福を感じる人も増え、様々な面で良い効果が期待できるのではないかと思っている。

というわけで、

  • 限界を感じたら、まずは世界観を転換する。
  • それでも無理なら逃げる。

さてと、今日も雪はね頑張ろ。