
2013年8月、「北の京・芦別」がホテル営業を終了したという知らせをテレビで聞いた瞬間、僕は膝から崩れ落ちた。
というのも、「北の京・芦別に一度は宿泊したい」というのが、当時の僕の大きな夢の一つだったからだ。
それが、もう二度と叶うことがないという現実を突きつけられ、落胆のあまり膝から崩れ落ちたというわけだ。
さて、「北の京・芦別」は、北海道大観音という超デカい建造物や、日本庭園大浴場、ギリシャ神殿大浴場、大ホールのお祭り広場を擁する、超魅力的な宿泊施設として、創業から多くの人々に愛された施設だった。
しかも宿泊施設内には、趣味の良すぎる展示物がたくさんあったらしく、

宿泊すれば、間違いなく記憶に残る大満足の旅になるはずだったのだ。
それが叶わぬ夢となるとは。
それでも少しだけ慰めになる事実がある。
それは何を隠そう、僕は奇跡的に2010年8月、北海道大観音の胎内を拝観していたのである。
北の京・芦別とFK
いきなり説明に入って恐縮だが、これは正面から大観音を写したものだ。

まさに圧巻の光景である。
それにしても、バブル期の日本の勢いは異常なほど凄まじかったことが、こんなところからもわかる。
そして、こんなに思い切ったことをする経営者がいたことについては、尊敬しかない。
今のように勢いのない日本では、もうこのような建造物が立たないのかもしれないと思うと寂しくなるものである。
「いや、金があってもいらないし」という声が聞こえてきそうだが、そんな冷たい意見は断固無視である。
さて、それでは簡単に大観音の内部の説明をする。
まず胎内に入ったら、受付を済ませエレベーターで一気に大観音の頭部まで上がる。
それから螺旋階段を降りていくと、このような豪華絢爛な展示物が迎えてくれるのだ。

階段を降りても降りても、ひたすら同じような光景が繰り返され、気がつけば1階にいるという感じだ。
展示されている観音様がやけにテカテカしていて「これは何製なんだろう?」と興味をそそられた記憶が蘇る。
調べてないけど。
下まで降りて見上げるとこんな感じだ。

1階層毎に、テカテカな観音様たちが展示されているという、ここでしか味わえない異世界が展開されている。
ある意味ディズニーランドである(異世界(ディズニーは夢の国)という意味で)。
僕が行った時は、僕ら家族の他に1組の参観者しかおらず、ほぼ無人状態だったので「このまま出られなくなったりして…」という謎のうす気味悪さを感じたのを思い出す。
是非また行きたいが、もう無理なのである。
行った時には拝観料とお守り代金を払ったのみで、結局宿泊もせず、存続のため力になれなかった自分が情けない。
後悔を減らす方法
こうしてみると、後悔というのはなかなか防ぎようがないものだなと思う。
ある程度は、自分の考え方によって減らすことはできるが、完全になくすことはできないものだ。
考え方というのは、「自分の人生で起きることは全て良いことなのだ」と、自分を納得させる方法だ。
起こったことについてはやり直しがきかないので、当たり前の考え方でもあるが、そうは言ってもどうしても納得できないことはあるのではないだろうか。
例えば、思い入れのある食べ物屋さんが無くなった時なんかがそうだ。
誰にでも1度や2度、そんな経験があると思う。
おそらく、「もう一回食べたかった」「あの時行っておけばよかった」などと後悔するはずだ。
人生の進む方向や大枠については、自分で人生を選択していると感じている限り後悔することはないのかもしれないが、食べ物屋さんに食べに行くかどうかという些細な選択ですら、後悔の種となるのが人生なのだ。
こういった些細な後悔もできるだけしたくない時、僕たちはどうすればいいのだろうか。
方法は一つしかないと思う。
それは、やりたいと思った時に即行動することだ。
食事に行きたいと思えばすぐに行く。
場所が遠いとかでお金がかかる等の事情があってすぐに行けない場合は、日程を決めてしまってから目標に向かってひたすら突き進む。
これだけで、かなりの数の小さな後悔は減らせるのではないだろうかと思っている。
もちろん行動した後はボーッとしているのではなく、その瞬間を大切に味わうことも必要だと思うが。
でも意味はない
おそらくほとんどの読者は「北の都・芦別に泊まれなかったのはわかった。だからなんなのさ?」という疑問を持たれたに違いない。
その問いに対して、僕の答えはこうだ。
「確かに意味はない」
でも、意味のないことに後悔してはダメなのだろうか。
僕は後悔に意味は必要ないと考えている。
というかそもそも、ほとんどの物事に意味なんてないと思っている。
意味なんてものは、誰かにとって都合の良いことを、その誰かが考え出しただけのものが多い。
よく考えてみてほしいのだが、世の中の物事の9割以上は、はっきりいって意味のないことで溢れかえっている。
ラッパーのB.I.Gの『Daily』に出てくる歌詞が、この世の真実を言い当てている。
「つうか、大抵のことに意味なんかない、よって踊ってお前らと笑いたい」
みんな気づいているはずだ。
世の中の人たちは意味を創作しすぎである。
そしてそれに踊らされすぎである。
それに本気になりすぎて、身体を壊したり、死んでしまったりする人もいるくらいだ。
僕は「北の都に泊まりたい」というだけのことで、別に意味なんて求めていない。
もしそれが叶えば、単純にその瞬間を味わって楽しんで生きる。
ただそれだけだ。
人生もそんなスタンスで生きていくのもいいのかもしれない。