『嫌われる勇気』が実生活で生きた話|注:大袈裟な話じゃないので暇な人以外は読まないでください

少し前の話だ。

僕がかつて読んだ『嫌われる勇気』が、実生活で効力を発揮したのは。

『嫌われる勇気』は、「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想を物語形式でまとめた一冊だ。

登場人物に”青年”がいるのだが、「なんだその反応は」と思わず突っ込みたくなるエピソードが満載であるところは、好みが分かれるところであるものの、いろいろと学びの多い良書である。

『嫌われる勇気』に書かれているのは生き方と対人関係

『嫌われる勇気』で書かれていることとして、大きくは「生き方」と「対人関係」についての考え方だろう。

その中で、今回役に立った考え方として、「課題の分離」という概念があるので紹介したい。

「課題の分離」というのは、他人の課題には踏み込まないということだ。

他者の課題とは、その人の選択によってもたらされる結果を最終的に引き受けるのは誰か?という観点で考えるとわかりやすい。

例えば、子供の勉強に関して考えてみよう。

子供が勉強しないことに対して、親がただ単に「勉強しなさい」と言って勉強をさせようとするのは、他者の課題に踏み込んでいるということになる。

じゃあ、放任すればいいのかというとそういうことでもない。

放任するのではなく、子供の状態を知った上で見守る、援助する姿勢をとるべきだとこの本には書いている。(と思う。)

それについては、次のことわざがイメージしやすい。

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」

行動の手前まで導くことはできても、実際に行動することは他人の課題であり、自分がコントロールすることはできないということだ。

他人の課題は、自分にはどうしようもないことであると考える。

言われてみればごく当たり前のことであるが、このことを明確に意識せずに生きている人も多いのではないだろうか。

働かない部下に「なんであいつは動かないんだ」と嘆いている上司なんかは、わかっていない人の例としてあげることができるだろう。

この点をわかっていないと、人生のあらゆる場面において無用な苦労をする羽目になる可能性もあり、「課題の分離」の考えについては概ね賛成である。

それでは、『嫌われる勇気』が役立った僕の体験に戻ろう。

温泉旅行にて

僕が家族とプール付きの温泉旅行に行った時の話だ。

その日、僕は午前中に車で家を出発し、ホテル周辺の観光地を堪能した後、温泉ホテルにチェックインした。

部屋につくなりまずやったことは、予想される疲労への対処として「モンスターエナジー」を飲んだことだ。

それから、ホテルのプールで2時間ほど遊び、温泉に入り、少し休憩してから夕食のバイキングをたらふく食べた。

毎日、夜9時には睡眠をとるという超健康優良児である僕も、温泉旅行に来た時ぐらいは夜更かししたくなるものである。

いつもは絶対に見ないような、テレビのバラエティ番組を布団に入りながらダラダラ眺め、気がつけば深夜11時を回っていた。

さすがに疲労困憊だったので、そろそろ寝ようかと電気を消し、僕の楽しい1日が終わろうとしていた。

しかしその後、あれほど厳しい戦いを強いられることになろうとは、当時の僕は知るよしもなかったのである。

隣人との戦い、そして『嫌われる勇気』が役に立った

11時すぎ、真っ暗闇の部屋の中で目を閉じ、ウトウトしかけていた頃、隣の部屋から何かボソボソと話をする若者たち(男集団)の声が聞こえてくるではないか。

「大学生が4人くらいで旅行に来ているのだろうか。」と僕は考えた。

家族が寝静まりシーンとした空間にいる僕の耳には、隣から断続的に笑声が聞こえてくる。

「これはもしかしたら眠れないかもしれない」

弱気になると同時に嫌な予感がしたが、こういうのは気にすればするほど眠れなくなることが経験上わかっていたので、気にしないように目を閉じていた。

人間は、ある対象を気にしないようにすればするほど気になってしまうものである。

それでも精神を寝ることに集中し、なんとか再びウトウトし始めていた頃、どこからか歌声が聞こえてきた。

注意を向けてみると、同じ隣の部屋からである。

「子守唄ならまだしも歌はないぜ。今が一体何時だと思ってるんだ」

「いかんいかん!」と、他人を憎む悪しき感情の種に気がついたところで、思考をストップ。

「この自分の感情に気がつくというのは、日頃の瞑想トレーニングの成果だろう。」

「それはそうと、すぐに呼吸に集中して、睡眠に集中だ」

またなんとなくウトウトしていると次は、隣の部屋にやけに声が響く男がいることに気がついた。

「なんであんなに声が響くんだ。クソッ!俺は声が響かないのに。」

と、どうしようもない怒りが込み上げる。

「N .C.Fのメンバーみたいに、ボイストレーニングでも行くか」

などと様々な考えが頭を巡っていたが、日頃の瞑想トレーニングの効果もあり、そのような自分の心の動きにすぐに気がついたため、再び呼吸に集中することにした。

強い意志により再びウトウトしていた、次の瞬間。

隣から「ウォーッ!!!」という歓喜の叫び声が!

「これは無理だ…。」

そう確信した瞬間である。

仕方がないので、スマホで時間を確認したところ午前1時とのことである。

「寝不足で明日の運転は厳しいぜ。いや明日じゃない。今日だ。」

「それにしてもなんて常識のない奴らなんだ(怒)。」

「ついてないぜ。なぜ隣にシンガー、叫び屋、やたら声が響く男が泊まっているんだ。」

「ホテルに先に行っておけばよかった。隣に人がいない部屋にしてくれとな。」

様々な対象に向けて怒りの感情が発芽し始める。

僕はおもむろに起き上がり、部屋のドアを開け、隣のドアをノックする。

出てきた若者達に「眠れないんで静かにしてくれませんか!」

となるべく穏やかに伝え、戻ってくる。

もしくは、部屋の壁を叩き「うるせぇんだよ!若造がっ!」と怒号をあげる。

この方法はスッキリするかもしれないが、自分がますます覚醒して眠れなくなる可能性もある。

そんな感じで、どうしたものかと様々なシミュレーションを思い浮かべていた時だ。

ふと『嫌われる勇気』の教えを思い出したのである。

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」

「そうだ!仮に僕がどのような行動を取ったとしても、最終的に黙るかどうかは隣の若者たち次第だ。」

「自分もかつて若者だった時はこんな感じで迷惑をかけていたのかもしれない。つまり因果応報である。」

「若者達の青春において滅多にない機会に泥を塗るのもどうかと思う。」

「だから、今僕がやるべきことは、自分の課題、つまり寝ることに集中することである。」

僕はこの温泉旅行で「自分の課題に集中する」ということを、真の意味で理解したわけである。

自分の行いを振り返る

そして、「よく考えれば、今日は疲れるだろうと言いながら、普段は飲まない「モンスターエナジー」を飲んでいたではないか。しかもバイキングの食後のケーキと一緒にコーヒーを飲むことを選択したのは誰か。自分である。」

「眠れないのを若者のせいにするなんて、なんて自分は愚かなんだ。おお、ジーザス!!」

などと自らの行いをかえりみて反省した。

その頃にはもはや、隣の若者達への憎悪の芽は消え去り、ひたすら謙虚に自分の課題に向き合うことができていたたのである。

言い換えれば、寝ることに集中することができたのであった。

「必ず自分の力で眠る!」

決意は固かった。

エピローグ

その後も若者達の騒ぎは、おそらく午前4時頃まで続き、結局僕が眠りについたのはその後だったように思う(というか一睡もしていないに等しい感じであった)。

この旅で得た気づきは、

  • 「課題の分離」が有用である
  • 因果応報の法則はある
  • 「モンスターエナジー」は効く

この3点であった。

『嫌われる勇気』には「自分を変えることができるのは、自分しかいない」という考え方や、困難に見舞われたときに、「どうしてこんなことになったのか」と嘆くのではなく「これからなにができるのか?」を考える姿勢が重要だと書いてある。

これは、自分がなすべきことに集中するという姿勢につながる。

僕がうるさすぎる隣の若者達への反応として、怒ったり嘆いたりする感情を選択するのではなく、自分はどうすれば眠れるのだろうかという課題に集中したようにである。

ちなみに睡眠時だけではなく、この考え方はあらゆる面で役に立つだろう。

無駄に他人の行動に執着しなくなるのは、無駄なストレスを減らしてくれることにもつながる。

特に人間関係に悩んでいる人にとっては、役に立つ内容が他にもたくさんあると思われる。

悩める読者の方には、『嫌われる勇気』一読を進めたい。