
僕が仕事をやめてから早くも1年が過ぎようとしている。
自分史上、最も早く過ぎた1年かもしれない。
振り返ってみると、あのまま働き続けていたら実現しなかっただろうな、と思うことが結構あることに気づく。
まずはこのブログ。
仕事をやめていなければ存在していなかっただろう。
ここ1年間で作ってきた音楽も、存在していなかったはずだ。おそらく時間が取れなくて作れていない。
作った曲をラッパーさんに提供して、その結果出来上がった曲が何曲かあるが、それも存在していないはずだ。
そうやって考えていくと、仕事をやめただけのことでも、人との関わりや世界は随分と変わっていくのだなと驚く。
仕事を続けていれば、きっと昔と変わらない日々を過ごしていただろう。
「この1年間、俺は何をしていたのだろう?」と思っていたかもしれない。
心のどこかでは音楽を作って生きていきたいと考えているのだろうけど、平日はほとんど夢に向かって取り組むことができず、なんの進展もないはずだ。
実際、そんな生活を10年以上も続けてきた結果、自分の理想の生活に近づくことができていなかったのだから、それが1年で劇的に進展するはずはない。
人生は変えたいと思っているだけでは、変えることができない代物だと思う。
そして、恐ろしいほど何も変わらないまま時間が溶けていく。
当たり前だが、変えるためには行動することが必要だ。
そして、変えるために行動を始めると、案外簡単に人生が変わっていくものでもある。
行動から波紋が広がっていくように人々に影響を与えて、自分の人生が形作られていく。
仕事をやめるまでは、人生は硬直したイメージだった。
人生は、自分では何も変えられないもので、大きな流れに抗うこともできない。
自分がどんな役職まで出世しているのか、5年後にはどこに住んでいるのか、延長線上にありそうなことを想像することはできるが、コントロールはできない気がしていし、その想像にはなんの魅力もなかった。
八方塞がりで硬直した人生。それが人生のイメージだった。
でも少しだけ視野が広がった今、人生に対するイメージが変わってきている。
人生とは案外、柔らかいものなのではないかと。
粘土みたいな感じで、自分で形を作ることができるイメージだ。
作っていて気に入らない形なら、自分で作り変えることもできる。
結果、出来上がるものが変な形をしたものでも、自分で作ったと思えれば満足できるのではないか。
自分で作ったのだから。
誰のせいでもない。
周りを見ながら形作った粘土は誰かのものと似ていて、きっと見分けがつかないものになるだろう。
これは僕が作ったものじゃないとすら思うかもしれない。