人生何かを始めることに遅すぎるなんてことはない

最近ほとんど引きこもっているのだけれど、先日、ちょっとした用事があって外出する機会があった。

外の気温は32℃。

網走で3年ほど過ごした僕にとっては、うだるような暑さだ。

そんな暑さにふと、大学時代のことを思い出した。

僕が大学生だった頃に過ごした札幌は、1999年からの数年間、記録的な猛暑だった。

友達と学校の外で「暑すぎない?」と会話した楽しい(?)思い出がある(それ以外あまり覚えていないが、とにかく楽しかったのだ)。

というわけで、僕にとっては夏の暑さと青春時代の輝かしい思い出がセットになっている

何者にでもなれる

そんな大学時代には、自分が何者にでもなれるような気がしていた。

ちなみにその時は、図書館司書とヒップホップのトラックメイカーになりたかった。

大学を卒業するという時に、僕はなんとなく無職だと落ち着かないのもあって、アルバイト北海道という雑誌に乗っていた求人を見つけて応募し、運よく就職することができた。

最初の職場では仕事の厳しさを感じて、これが社会人というものかと思った。

生意気だったせいか、めちゃくちゃ恐ろしい先輩に指導された記憶が今、蘇る。

その後、サラリーマンをやめて公務員になり、公務員の社会を通して大人社会のルールを学んでいった。

今思えば茶番みたいなものばかりだが。

茶番といえど、それが社会人としての現実だと思い、必死に順応してきた。

そうして社会人として数々の妥協を繰り返すうち、自分の何者にでもなれるという可能性を信じる気持ちは小さくなっていった。

結果、妥協が当たり前だと考える、一人のつまらない人生が出来上がりつつあった。

これまでが僕が歩んできた経緯だ。

今その計画から抜け出して、改めて青春について調べてみた。

夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの。

大辞泉(デジタル大辞泉)

年齢でいうと20代から30代となるらしい。

マジかい!ギリギリ外れているじゃないか。

社会にはこう考える大人達で溢れている。

「若いうちにしか挑戦できない」

「大人になるということは現実を理解することだ」

当然社会に馴染んでいたかつての僕も、それが正しいものと思い込んでいた。

何か自分の心の奥底から夢のかけらようなもの欲求が出てきたら、「現実的じゃない」という呪文を唱えながら過ごしてきたわけだ。

それってただの思い込みじゃないか?

僕は、何かに挑戦する時に遅すぎることはない、と考えている。

もちろん難しいことはわかっているし、無理なことも存在することは十分理解しているつもりだ(僕が100メートル走でオリンピックに出場するとか、失ったものを蘇らせるとか。)。

そうだとしても、簡単に自分の人生を諦めている人が多すぎやしないだろうか。

僕が挑戦することに何歳でも遅くないという話には理由がある。

僕は実際に37歳で発表したラップがテレビとかに取り上げられたし、40歳にしてプロのトラックメイカーとして活動している。

実績が大したことないので説得力にかけるかもしれないが、こんな事例もある。

ウェブニュースで見かけた、若宮正子さんという女性についてだ。

この方は80歳になってからプログラミング言語を学んで、アップルからも「最年長の開発者」として認められることになったという。

見習いたい姿勢だと思う。

他にも色々な事例は調べればたくさん出てくる。

例えばこの本。

これを読めば挑戦の成功事例はさまざまあって、年齢が必ずしも絶対的な条件にはなっていないということがわかる。

必要なのは自分を信じる気持ちと粘り強さだ。

とにかく僕はまだ40歳。

80歳まであと40年もあるのだ。

まだまだ挑戦し続けられる機会はあるということにして、今日はゆっくり過ごそうと思いこのブログを書いている。

pakutaso

年齢なんてフィクションだ

よく考えてみてほしい。

年齢なんてものもフィクションに過ぎない。

数字と暦がわかって記録があるから、年齢が計算できるだけだ。

その年齢に勝手に意味を加えているのは僕たちの社会だ。

そもそも外的にも内的にも成長速度がそれぞれ異なる人に対して、年齢と社会規範という画一的な基準を当てはめて論じるなんて、なんて乱暴なのだろうか。

「いい歳こいて何やってんだ」

ダサい大人が言うことだが、ぶっちゃけ今の僕にとっては聞きたくないセリフNo.1だ。

確かにこのコロナ禍で40男が、「作曲とラップとエッセイ」(なんか本のタイトルになりそう)に取り組み始めるということは奇行以外の何ものでもないだろう。

でもそんなことを言う人に僕はこう問いたい。

「周りにいる生き物を見てみろよ」と。

例えば犬だ。

犬が「もう歳だし散歩やめときますわ」なんて言わないだろう。

次に家畜化された牛だ。

「数ヶ月しか生きられないから餌は食べません」

言わない。

生き物は自らの欲求に基づいて最大限行動する。

人間も生き物だから基本的には同じだ。

ただし、人間が他の生き物と違うところは、長期的な夢を描いてそれを欲求につなげることができるということだ。

生存するために不要なものは基本的には備わっていない。

つまり、夢を見ることは生存するために必要なことなのだ。

だから、最大限生を全うするめにも年齢などというフィクションに惑わされず、自分の夢への欲求にもっと忠実になった方がいい。

幸せになるために挑戦は欠かせない

こんなことをくどくど言っているのには最大の理由がある。

自分、そして人を幸せにするためなのだ。

例えばイヤイヤやっている仕事とワクワクしながらやっている仕事。

どっちがアウトプットされる結果が大きいか考えてみてほしい。

当然ワクワクの方だろう。

人にはそれぞれ仕事に対して、好き嫌いの感覚が必ずある。

理由なんていらない。好きか嫌いかだ。

好きな仕事はうまくなるし、結果もよくなる。

嫌いな仕事でもそれなりにうまくなるが、好きでやっている人には敵わない。

出される結果がいいということは、つまり、好きなことをしていた方が、より誰かの役に立つのだということだ。

この考えは、より良い社会を作るために今後必要なものになると僕は考えている。

仕事は人の役に立つためにやるものだと僕は考えているので、単純にみんながワクワクする仕事をしていればそっちの社会の方がいいよね。

まだまだ青春は続いている

人生100年時代。

人生の長さが変わっているということは、青春時代も伸びているということだ。

人生50年時代の青春が30代までなら、100年時代の青春は80代までとしてもいいだろう。

さあ、僕たちも今日から挑戦の準備をしてみようではないか!

まずは僕はラップをリリースしますので聞いてください。