公務員が持ち家を買って公務員を退職した結果

毎朝近所を散歩していると、建築中の家や新築物件をよく見かけることに気づいた。

それを見るたびに「住宅ローンの鎖に縛られる人がまた増えたのだな」とか「かわいそうだな」とか、しみじみ想う。

でも持ち家はいいものだ。

住宅購入はハイリスクローリターン

だがよく、家を買うことはハイリスクローリターンだと言われる。

家を買った瞬間から資産価値が下がるので、結局は負債を負っているだけという理由からだ。

細かい話はよくわからないがとりあえず、

僕が家を買う前に言ってほしかった(涙)

家を買うとき、大抵のサラリーマンはローンを組むことになる。

代表的なのは35年ローンだろうか。

そして、ローンを組んだ瞬間から、返し終わるまでは働き続けなければいけないという脅威のプレッシャーが両肩、いや、全身にのしかかってくる。

ローンとの35年戦争の始まりだ。

この戦いは、ちょうど定年退職するかしないかというタイミングで終わりを迎える。

また、途中で亡くなったり特定の病気になったりしたら免除される場合もある。

いずれにしても「死ぬまで働け」と何者かに脅迫されているかのようだ。

最悪だ。

時々自分が奴隷なのではないかと思いたくなってくる。

家を買えば成功者か?

かつて持ち家を手に入れることは、幸せや成功の象徴だった。

文句を言わず言うことを聞く労働者を雇いたい側の思惑と、会社に勤めたら一生面倒を見てもらいたいという労働者側の思惑等がマッチしたことも、持ち家信仰が広がった理由なのだろうか。

そしてその信仰は、ごく自然に僕の中にも根付いていた。

気がつけば、過去の成功モデルを無自覚に追いかける信者になっていたというわけだ。

どうでもいいが、人間は自覚のないまま与えられた価値観を信じてしまうことばかりだと思う。

僕はまるで『マトリックス』のネオの如く、持ち家信仰をはじめとする固定観念から逃れることができた。

そう思ったのも束の間、逃れたと思ったらまた別の観念に飲み込まれているのではないかと思う。それの繰り返しだ。

さてそんなわけで、終身雇用が当たり前の公務員だったことも手伝って、僕は持ち家信仰を信じていた、言い方を帰れば思考が完全に停止していたことが今ならわかる。

実際のところ、持ち家を持つことは自らの選択肢を狭めることになった。

普通に考えればこの不確実な人生において、同じ仕事を65歳まで続けるなんてわかるはずがない。

数年前の自分も「本当に今の仕事を65歳まで続けるのだろうか?」という疑問をかき消して、「なんとかなるさ!」という勢いで持ち家を購入した。

案の定、その後仕事をやめたいなと思った瞬間に、まず先に思い浮かんだのは「住宅ローンどうするんだよ」という自らの心の声だった。

その声に対して、考え抜いた末に出す結論はいつも同じで、

「現実を見よう。」(この現実もフィクションだ)

「とりあえず、今の仕事にもいいところはあるのだから続けようぜ」だ。

家を買った公務員が、やりたいことにチャレンジするなどもってのほかだというわけである。

ああ、それにしても我ながらなんてつまらない結論なのだろう。

なんとなく就職して家を建てる。

自分のやりたいことがあるけれど、家のローンが心配で踏み出せない葛藤。

そのまま時間が過ぎて定年退職。

振り返れば色々あったなと思いながら、それなりに満足して余生を過ごす。

そんな映画が仮にあっても観ないな。

それでも持ち家は最高だ

話は逸れたが、確かに家を買うことには上記のような様々なデメリットがある。

でも僕はここであえて、あなたには家を購入することをお勧めしたいと思っている。

その理由は、

家を建てる経験自体が幸せである

どんな家を建てようかな。

内装はどうしようかな。

その悩みは最高にクリエイティブなものであり、住宅設備の展示場を回ったり、家具を選んだりするだけでとても楽しく、最高の思い出の一つとなるはずだ。

しかも僕の勝手な決めつけだが、基本的に住宅設備の展示場に来場している人たちは、幸福な人しかいない。

家を作るという同じ目的を持った幸福な人たちがたくさんいる、そんな場はある意味パワースポット級であり、そこにいるだけでも超ハッピーな気分になれるのだ。

たしか鴨長明が『方丈記』で、家などはいずれ無くなる儚いものなのだから、こだわるだけ無駄だよ的なことを言っていたが、そんなのは無視だ。

実はもう一度家を建てたいと思っている。

思い出はかけがえのないものである

僕は人生で最も大切なことは、良い思い出をどれだけ多く得ることができるかどうかだと考えている。

高齢になって体が自由に動かなくなれば、または気力が湧かなくなれば思い出を作ること自体ができなくなる(このことに気づいていない人は多い)。

だがそんな中でもできることは少しある。

思い出を振り返って幸福感を得ることはできるのだ。

家のこともその一つのツールだ。

同じ場所を共有した家族や仲間と思い出を共有することもできるだろう。

今僕は最高の場所で自分の好きなことをしている。

これほど幸せなことはないし、いつかきっと思い出すのだと思う。

大好きな機材と本に囲まれたデスクで大好きな音楽を聴きながら、この原稿を書いている。最高の時間の過ごし方だ。

帰る場所があるというのは幸せなこと

というのも僕の実家も持ち家だからわかることだ。

僕が幼稚園くらいの頃に建てられたもので、青春時代をその家で過ごし色々な思い出がある。

家に帰るとやはりそんな青春時代を思い出すし、何よりも落ち着ける場所となっているのだ。

仕事をしていた時に長期休暇をとって実家に帰ると、思い出の世界や非日常の世界に浸ることができた。

そこで感情をリセットしたり別の視点に気がついたりするからこそ、また元気に日常生活に戻ることができていたのだと思う。

今を大切に考えてみよう

どう考えてもこれらのメリットを考えると、資産がどうだとかいう話はどうでもよく感じてくる。

最低限考える必要はあると思うが、あまりにも資産運用とか不確定な将来のこととかを考えすぎて、今を蔑ろにすることほど馬鹿げたことはない。

確かに大きな買い物であり、なかなか決断することは難しいことはわかる。

だが迷っているうちに時間はどんどん過ぎていってしまうのだから、今を大切に過ごすことを優先して考えた方がいい。

たまに定年退職後に家を買うつもりだという話を聞くことがあるが、前述の思い出がもたらすメリット等を享受するには遅すぎるのではないかと思う。

そもそもその年齢まで生きているという保証はないのだし。

欲しいと思った時が買い時

同じ仕事を40年も続ける気がない場合は、間違いなく僕のように人生ハードモードに突入するので慎重に考えて欲しいが、

基本的には欲しいと思った時に家を購入するべきだと思うし、それはなるべく早い方がいいというのが僕の結論だ。

そうすることで幸福感を長く味わうことができる可能性が高まるのだから。

もちろんローンがもたらす凄まじいプレッシャーはあるけれど、そこはもはや無視して前に進み続けるしかない。

人生はなるようにしかならないのだから。

無理なら無理で仕方がない。どこかに住むところはあるだろう。

しかも、家なんていずれ自分の前から無くなる運命だ。

墓場まではどう考えても持ってはいけない。

鴨長明が正しい。

家を買うかどうか。

それは結局、「どう生きるか」の問題なのだ。