
去年まで、12ヶ月ある1年の中で、4月という月は嫌いだった。
4月といえば仕事においても何かと忙しい時期であり、かつ、仕事の内容が変わったり、メンバーが変わったりして、気持ちが落ち着かないからだ。
また、2、3年くらいのサイクルで、自分がどこかへ転勤する場合もあり、その場合は、生活への慣れ、職場環境への慣れ、仕事への慣れという、トリプルショックへ対応をしなければならない時期でもある。
なぜわざわざ仕事が忙しい時期に、仕事の内容が変わったり転勤させられたりし、誰もが苦しむ設定になっているのかは甚だ疑問であるが、このサイクルを設計した人は間違いなく無能であろう。
もしかしたら、わざと被支配層である我々を苦しめておいて、余計なことを考える暇をなくすように設計しているのかもしれないが。
真相は不明だが、言ってしまえば”みんな無駄に苦しんでいるだけ”であることは間違いない。
「俺たちをなんだと思っているのだ!」と誰に言ったらいいかわからないが、少し物申したい気分だ。

落ち着いた4月
まあそれはよしとして、そんな苦労を4月に負わされていた状態から一変して、今は究極に落ち着いた4月を迎えている。
この落ち着き加減は、おそらく幼稚園児すらも超えたと思う。
実際に、息子たちよりも落ち着いている感じがするので間違いない。
俺を超えられるのは、赤ちゃんか隠居後のお年寄りくらいだろう。
中年部門においては、屈指の落ち着き加減かもしれない。
その結果、悟ったわけではないが、この4月という時期がとてつもなく素晴らしい時期であることに気がついたのでひと言書こうと思う。
4月の素晴らしさ
まず、雪が解けることの素晴らしさである。
雪が解けることで道路が突然拡張したような感覚になり、それによる開放感が桁外れなのだ。
さらに、気温も上がってきており、天気も晴れの日が多く、草木も少しずつ元気を取り戻しているようである。
ふと地面を見れば蟻が元気に歩き回っている。
まさに生命の爆発という感じが、あちらこちらから伝わってくるので、「これから俺も頑張ろうかな」という気持ちに自然にさせてくれるのが、本来の4月という月なのだ。
ちなみに、その辺の感じをインスト曲にしているので、よろしければ聴きながらブログの続きをどうぞ!
というわけで、毎日毎日、なんとなく仕事して寝て起きて、また仕事して・・・を繰り返していた時には、こんなに素晴らしい季節にも気がつくことができなかった。
日常があまりにも淡々と流れるわりにごちゃごちゃしている感じで、余計なことに意識を向けることもできなかったのだろう。
今思うのは、人間は本来これくらい余裕を持つべきだということだ。
誰が作ったかわからない、いじめのような設定に乗っているだけでは、無駄に苦労させられるだけだ。
命の使い方としては、勿体無い気がする。

理想のあり方
人生の楽園の見過ぎだとは思うが、最近はこう思う。
人間のあるべき姿というのは、自然と共に生きて、自給自足の生活が理想なのだと。
人はそもそも仕事なんてしたくない生き物だと思う。
少なくとも僕は、何もやりたくない派である。
仕事やりたい派の人は、好きな仕事をしているか、カッコつけているだけなのだろう(違う?)。